今年は鬼祀が10~11日でしたが、
建国記念日の11日は無理ななので
10日に寄ってはみたのですが、
鬼を先頭してに大勢で走ったり、
儀式をしているのは初見でした。
鬼が追いやられる様になったのは
最近は江戸中期以降の可能性が
高いのではと考えていますが、
源頼朝が石巻神社に善鬼の面を
寄進した事は知られています。
飽海神戸神明社と同じ吉田城境内の
吉田神社の祇園祭本祭は頼朝行列で、
この周辺では善鬼の祭であっても
おかしく無いとは思われますね。
鬼と走る人数が余りにも多くて、
吉田藩に祭を改変出来る人数が
かなりの数いた可能性について、
考えざるを得なくはりました。
ええじゃないかも豊橋発祥で、
数人で大規模なムーブメントに
発展させられるはずはなく、
それだけの組織力が存在した
エリアであった事になります。
明治維新以降は神社庁傘下に
組み込まれたのであれば、
神主も入れ替えがなされて
質的に変わっていそうです。
しかし鬼を悪者にした勢力は
何処に行ったのでしょうか。
祭祀の雰囲気を見てみると、
感性の鋭い人達であれば
色々と分かりそうですが、
これは個々人の感性ですね。
本来は飽海遺跡が地下に眠る
上に建てられた神社における
祭であった事を考えると、
何処まで悪鬼の祭にした所が
知っていたかが問題でしょう。
大規模な祭の改変となれば
簡単には行きませんが、
この周辺の記録については
残されていないですね。