江戸時代には山崎闇斎が朱熹の著作の
ごく一部だけを学んでいたという説が、
語り継がれて来たと言う事です。
闇斎に大きな影響を与えたのが、
朝鮮儒学中の特に李澳の性理学と
言われてる事から推察していくと、
中国ではなく朝鮮の儒教の影響が、
垂加神道に見られる事になります。
問題となるのは朱子学こそが
南朝のイデオロギーとされ、
後醍醐天皇との関わりがある
歴史がスポイルされている事に
あるのではと邪推しています。
江戸幕府と鎌倉幕府の関係は
色々と語られて来ていますが、
鎌倉幕府から南朝への繋がりを
言及したのは私だけでしょうか。
ここの歴史解釈により大きな問題が
生じる事になって来るのですが、
豊橋市には頼朝の痕跡が多くあり、
家康も賀茂神社を保護した上に、
吉野藩を特に重視していました。
ここに三河吉野朝まで関わるなら、
江戸で重視された朱子学の系譜が
南朝に連なっている可能性すら、
考慮に入れる必要がありそうです。
朝鮮の歴史は李氏朝鮮について
書かないといけないのですが、
菅原道真の本を読むだけで、
前段階から疑問が多い事を
知る事が出来ると思います。
豊臣秀吉の朝鮮出兵の問題もあり、
千利休と朝鮮との関係についても
一応は研究してはいるのですが、
織田信長の本に取り掛かるまでに、
私が辞めている可能性が高いです。