吉田神道と闇斎

江戸時代には吉田神道の流れを汲む
吉川神道が登場して来ています。

江戸日本橋に住んでいた吉川惟足は
36歳で鎌倉に隠居し萩原兼従に入門、
兼従の信頼を得て吉田神道の道統の
伝授を受けたとされています。

惟足の神道説は朱子学と習合する他、
かの山崎闇斎や会津藩主保科正之との
学問的交流が行われた事によって、
脱仏教化がなされた物とされますね。

私は江戸時代に京都の吉田神社にも、
裏工作がなされていた痕跡について
有料記事にした事があるのですが、
吉田神道は伊勢神道を継いだ物で、
江戸でも重視されていた神道です。

と言うより江戸時代には伊勢を超え
神道界の頂上に君臨していたので、
私の言う特定の勢力には都合が悪く、
裏工作が行われていないかと思って
調べてみると色々と出て来ます。

林羅山も吉田神道との関わりがあり、
こちら側は余りにも有名でなく、
偏った情報源が出した書物だけで
江戸を語っていたら大変ですね。

明治維新で吉田神社から伊勢の神宮に
権威が移ったとされてはいますが、
江戸の伊勢も大概ではあったので、
江戸時代の神道界に何があったかは
全体的・長期的に見ていかない限り、
浮かび上がらない深層がありそうです。

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