本居宣長の政の定義は臣下が天皇に
奉仕する事だとしているのですが、
儒教を排除した後に政の定義を変え、
天皇に絶対服従を強いて来ます。
神武天皇が高千穂宮から東行を
開始した時に語ったとされる、
「坐何地者平聞看天下之政」の
政について『古事記伝』で、
政は、凡て君の国を治坐す万ノ事の中に、神祇を祭リ賜ふが最重事なる故に、其ノ余の事等をも括て祭事と云とは、誰も思ふことにて、誠に然ることなれども、猶熟思フに、言の本は其ノ由には非で、奉仕事なるべし、そは天ノ下の臣連八十伴緒の、天皇の大命を奉はりて、各其ノ職を奉仕る、是レ天ノ下の政なればなり
奉仕るを麻都理(まつり)と云由は、麻都流(まつる)を延て麻都呂布(まつろふ)とも云へば、即チ君に服従て、其事を承はり行ふをいふなり、故古言には、攻と云をば、君へは係ず、皆奉仕る人に係て云り
と神々を祭る事を根本とはせず、
天皇の大命を受けた臣連八十伴緖が
其職をもってする奉仕とします。
孔子は政を正に通じるものとし
バランスを重視していましたが、
一神教的な絶対者への服従を
強く連想させる国学の思想に、
徐々にすげ替えられて来ます。
絶対神から権威を授けられた王と、
絶対神を信仰する信者の形態は、
神の権威をかさに何をしても良い
独善的な思想に繋がり兼ねません。
ヨシュア記では神の名のもとに
異民族への侵略や虐殺が行われ、
自分達の都合だけで他を殺しても
神の下では正統化される信仰が
江戸時代にも広められていらなら、
明治維新のイメージも変わります。
儒教的な政祭観がこの勢力による
日本支配に都合が悪い物であれば、
長期的な謀略を用いて排除をする
動きがあっても不義理はありません。
阿弥陀如来を信仰する大乗仏教も
釈迦の仏教を抑えて広まっており、
信じれば救われる大乗の信仰も
キリスト教と酷似していますね。
時代的に様々にパッケージを変え、
似た様な事をして国を支配する
勢力が存在していた可能性は、
相応に高いのではないでしょうか。
現代の天皇観がこの思想の影響を
無意識に継承しているのであれば、
私が危険視している理由にも、
多少の理解が出来ないでしょうか。
この天皇観は卑弥呼や倭王武、
菅原道真周辺の天皇観とは
大きく異なる物である事は、
私の著作を読めば分かります。
これらの時代に儒教や神仙道、
アショーカ王の仏教などが
政界でも尊重されていたなら、
現代の天皇論は根本的な所から
洗い直す必要があるでしょう。