平城天皇灌頂文
空海撰述の『平城天皇灌頂文』が存在しているとされますが、この書の存在の解釈如何により大問題に発展する事になります。
遥かなる太古の三遠と今後のビジョンの探求
空海撰述の『平城天皇灌頂文』が存在しているとされますが、この書の存在の解釈如何により大問題に発展する事になります。
空海は大同元年(806)に九州の博多に帰り着いた後、都に行く事を禁止されており、大宰府での待機が命じられたと伝えられている事が謎を呼び、様...
806年に九州へ帰国したした空海は、しばらく大宰府に止まったそうです。 この時代は平城天皇の御代なので、私が平城天皇の記事を書いた事...
日本側の記述を見てみると、高階真人遠成の上言により憲宗皇帝の帰国の勅許を得て、橘逸勢と空海は元和元年三月に長安城を出発しています。 ...
橘逸勢は琴と書に精通したと伝承されているのですが、琴には九種類あるそうです。 琴・瑟・筝・琵琶・新羅琴・阮咸・筆篌・箜篌・日本琴で、...
二十年に一度の遣唐使船で唐から帰国する予定であった最澄・空海・逸勢達であったとされてはいるようなのですが、空海と逸勢は足かけ三年で共に帰国...
橘氏は改姓された後の呼び名で、橘諸兄は葛城王と呼ばれた事を、『行基菩薩とヘレニズムの復興』に詳しく書いておきました。 橘の木は中国南...
『橘逸勢伝』は以下の様に伝えます。 贈從四位下橘朝臣逸勢者、正一位左大臣諸兄曾孫、右中弁從四位下入居男子也。爲性放誕、不抅細節、尤妙...
橘逸勢は橘諸兄の曾孫とされ、橘諸兄は葛城王と呼ばれますが、葛城は役小角と関係する事から、修験を行じた祭司王であった可能性が浮上してきます。...
大伴氏は古代の政界事件に必ずと言って良い程登場し、橘奈良磨呂の乱・氷上川継の乱・藤原種継暗殺事件・承和の変・応天門の変などに顔を出します。...