行基は東大寺の大仏の建立を任されますが、
完成を見ずに他界したとされています。
行基が天平二十一(749)年二月二日に
和泉の国(現堺市)の菅原寺東南院で
昇天した事に由来する祭が二月二日に行われ、
四方浄の行基の祭は三月二日とされています。
となると行基死亡の時期については、
疑問の余地が生まれる事になります。
体制側から小僧扱いされていた行基は
東大寺の大仏を建立する目的のために
取り上げられて地位を確保するも、
用済みになって干された可能性も
ゼロとは言いがたいところですね。
笠置寺について書いた時に、
行基の伝承が隠蔽された事を
記事にした事がありますが、
どの様な背景があったのでしょう。
行基が菅原寺で死んだとされる事も
アヤフヤな感じになってきますが、
四方清の行基出生が真実であったなら、
この時点で隠蔽がなされている事になり、
行基伝承にはかなりの嘘がありそうです。