平清盛と六甲山

1180年にかの平清盛が
福原に都を定めた時に、
鬼門に位置する多門寺を
守護寺と定めたそうです。

京の鞍馬寺の役割を期待して、
京都の八瀬大原から多勢を
多門寺付近に移住させたと
伝えられているのですが、
鞍馬寺と言えば源義経伝承も
唐櫃の地に残されています。

鞍馬寺は京都の北に位置し、
なぜ鬼門守護と絡めたかが
今一つ分かり難いですが、
唐櫃の地はそれ以前から、
六甲修験道に関わる家が、
存在していた事で有名です。

役小角に関わり六甲修験道を
掌握していた四鬼家の力は、
かなりの物であったそうです。

唐櫃には調査に行きましたが、
行かないと分からない雰囲気が
色濃く漂っているエリアであり、
伝承と実地で感じるのとでは、
天地の差が出て来ますね。

実際の雰囲気からすると、
このエリアの伝承の解釈を
見直す必要が出て来るので、
年代的背景を含めた考証に
骨が折れるところです。

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