神呪寺開基の如意尼(にょいに)は、
元伊勢崎・籠神社の宮司に家系の、
海部厳子(いつこ)とされています。
海部氏は丹波国造の一族とされ、
海人族の首長と伝えられますが、
この辺りには色々と書ける事が
有ったり無かったりですね。
如意尼は十歳になると、
京都の頂法寺境内にある
六角堂の如意輪観音像に
帰依したとされています。
六角堂は京都のヘソとされ、
行って来た事がありますが、
何かと意味深な伝承です。
淡路島の岩屋浦に流れ着いた像を
聖徳太子が祀ったものとされ、
太子との因縁まで語られます。
海部厳子は籠神社に伝わる
潮満の玉を空海に預けた
伝承が存在していますが、
山幸彦が海神から授かった
神宝まで関わるのなら、
久保良神社も繋がります。
海部厳子は浦島太郎の子孫と
伝承されているそうですが、
丹後の浦島神社を創建したのは
厳子の夫・淳和天皇とされます。
六甲山系に籠神社との関係が
色濃く見える言うのなら、
金鳥山のカタカムナ伝承も、
ここに繋がって来そうです。