日本の古代史を調べていると、
同じ名の神でも全く異なる
伝承が存在する事が良くあり、
複雑な背景を感じさせます。
古事記では諏訪に逃げて来た
建御名方命が記されますが、
諏訪明神絵詞には侵略者の
建御名方命が登場します。
この情報をどう解釈するかに
様々な説が想定されますが、
実地調査から得た研究を、
本に書いた事があります。
まだ神社の関係者から聞いた
話などで出せない物もあり、
こう言う所が面倒ですね。
現在執筆中の本の研究で
天日鉾が出て来ますが、
これも中々厄介な存在で
妻に逃げられた情けない
新羅王の記述の他にも、
侵略者の伝承があります。
私が神鍋高原に行ったのも
天日鉾の絡みがありますが、
なぜ二系統も伝承があるかに
疑問が出て来ないでしょうか。