中宮定子

今月は10日から12日にかけ、
18切符を使って実地調査に
飛びまわって来ていました。

細かくJRで乗り降りするには
18切符は使い勝手が良く、
新価格や特急を使わないでも
良い場所の調査に行くなら、
日割りで3.333円になっても
十分元が取れる計算です。

初日は花祭で出会った読者が
京都在住の方であったので、
誘ってみて東福寺周辺を周り、
喫茶店で話をして来ました。

しかし平安中期の藤原氏には
似た名前が多く関係が複雑で
全く覚え切れないのですが、
更に厄介なのが墓の位置も
特定出来ていない人が多く、
臨場感が殆ど湧きませんね。

皆さんお受験の丸暗記なのか、
よくもスラスラ語れるなと
思う人がネットに多くいて、
私には無理な芸当です。

と言うか調べれば調べるだけ
分からなくなって来るので、
実在したかどうかすらもが
怪しい人物も存在しています。

もし史実でなかったとすれば、
しっくり来ないのが原因で
頭に入らなそうな物ですが、
正確を期すなら事実としてでなく
~と言う史料にこう書いてあると、
ソースの明示が必要になります。

このソースの信憑性が怪しければ
歴史的事実なのかも微妙となり、
断定するのが難しくなって来ます。

邪馬台国を記した魏志倭人伝すら、
総合的に整理背景を調べて行くと、
信憑性が怪しくなる事については
邪馬台国の本に書いておきました。

藤原氏の東福寺は興福寺と似た
ネーミングになっていますが、
ここにはかなり怪しい物が
幾つも見られるのが面白く、
####にも関わっています。

この付近には一条天皇皇后の
藤原定子の墓も存在しますが、
行ったらかなり驚きました。

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