選挙とギリシャとペルシャ

年明けから解散総選挙ですが、
ネットを見ても前の選挙の様な
盛り上がりは見せていませんね。

前回の選挙では不正疑惑が浮上し
今回も期日前投票が行われますが、
騒がれている様子がありません。

民主主義の原点を探っていくと
ギリシャに行き当たりますが、
プラトンが『ゴルギアス』で
弁論術の問題に触れています。

ゴルギアスは弁論術について、
言論で人々を説得する技術で
善悪、美醜、正不正を扱え、
技術それ自体に善悪はなく、
不正に用いる人が悪いとします。

ソクラテスは彼の矛盾をつき、
善悪や正不正を扱う弁論家なら
それらを知っているはずであり、
知ってれば正しさを選択するが、
不正に用いる人がいるのなら
知らない人がいるとします。

格闘技は善悪を扱いませんが、
善悪を扱うならその定義から
明確にしないといけませんね。

ただ善悪は多義語であって、
人によっても文脈によっても
違った定義で用いられる事が
非常に多いのが厄介な話です。

不正な人は独裁者の様に弁論術を
不正に利用する事になるが、
善悪・正不正が分からないので、
余計に不正を行うと付け加えます。

ここから更に二人が入れ代わって
最終的に本音で罵倒して来ますが、
現代でも口先だけ善悪を語って、
選挙さえ通れば不正を行う人達の
本音がここに通じていそうです。

私は日本の民主主義が支配のための
ツールとして押し付けられた物だと
考えているところがあるのですが、
最近になりギリシャの民主主義に
ペルシャが関与していた可能性が、
存在する事に気付いて来ました。

ヘロドトスの『歴史』の冒頭は
ペルシャの話から始まっており、
何故かゾロアスターの存在が
ギリシャで言及されています。

この伝播には謎とされる部分が
存在しているとの事なのですが、
宗教を用いた支配・洗脳の話は、
バチカン等にも視られますね。

このルーツがペルシャの国教で、
ユダヤ人をバビロニア捕囚から
開放したのもペルシャとされます。

ギリシャの民主主義がペルシャの
支配ツールとして導入された物で、
ペルシャ系秘密結社が啓蒙主義で
復興させた思想であったとすれば、
恐ろしい話になりかねません。

勝てば良いと無茶苦茶を行い
責任を踏み倒せるとするのは、
因果応報を無視した考えです。

後の世代にツケを押し付けようが
死ぬまで逃げ切れれば勝ちとする
教義を持っているのであれば、
余りにも危険な宗教でしょう。

自らのヒエラルキーに属さない
自然界を司る神々を悪魔とし、
自らが善で他を悪とする思想に
かぶれてしまっているのなら、
前提から掌の上になりますね。

善悪両者でプロレスを行いつつも
他の神々の本来の姿を隠すなら、
その世界観の善悪どちら側でも
与したらマズそうな雰囲気です。

聖書で悪魔とされた神々も
この国に根付いていますが、
艮の金神も含まれています。

しかしこれすらも取り込まれて
偽物が出回っている状態であり、
本物を見極めないと危険です。

この辺りの本を書きたいのですが、
余りにも資料が増え続けてしまい、
体が幾つか欲しいところですね。

時代の節目なので課題が多いですが、
なぜこの類いの話を扱っている人が
殆どいない状況にあるのでしょうか。

他に複数いれば苦労も減るのですが、
有名所でも裏を知っている人もいて、
ちょっと小物過ぎないかと思える
誤魔化しをするケースがあります。

過渡期ゆえの問題もあるので、
スケベ心に漬け込まれる様な
チャチャな話で終わる事なく、
数千年、数万年後からですら
評価されるような生き様こそ、
追及して欲しいものですね。

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