人麻呂と日本神話

日本神話と言えば古事記ばかりが話題にされますが、
柿本人麻呂が草壁皇子の殯宮の時に詠んだ挽歌は
古事記に通じる神話的な表現がなされています。

日並皇子(ひなみのみこ)の尊の殯宮(あらきのみや)の時、
柿本朝臣人麿がよめる歌一首、また短歌

天地の 初めの時し 久かたの 天河原に
八百万 千万(ちよろず)神の 神集ひ 集ひ座(いま)して
神分(かむあが)ち 分ちし時に 天照らす 日女(ひるめ)の命
天をば 知ろしめすと 葦原の 瑞穂の国を
天地の 寄り合ひの極み 知ろしめす 神の命と
天雲の 八重掻き別けて 神下(かむくだ)り 座せまつりし
高光る 日の皇子は 飛鳥の 清御(きよみ)の宮に
神ながら 太敷きまして 天皇(すめろき)の 敷きます国と
天の原 石門を開き 神上(かむのぼ)り 上り座しぬ
我が王(おほきみ) 皇子の命の 天の下 知ろしめしせば
春花の 貴からむと 望月の 満(たた)はしけむと
天の下 四方の人の 大船の 思ひ頼みて
天つ水 仰ぎて待つに いかさまに 思ほしめせか
由縁(つれ)もなき 真弓の岡に 宮柱 太敷き座(いま)し
御殿(みあらか)を 高知りまして 朝ごとに 御言問はさず
日月 数多(まね)くなりぬれ そこ故に 皇子の宮人 行方知らずも

反歌二首

ひさかたの 天見るごとく 仰ぎ見し 皇子の御門の 荒れまく惜しも
あかねさす 日は照らせれど ぬば玉の 夜渡る月の 隠らく惜しも

反歌とは要約のようなものだそうです。

この歌で面白いのが古事記と違う記述がある事で、
古事記ではイザナギにより命じられた部分が、
八百万、千万の神の合議により決定されたと
中々に意味深な表現になっています。

文献として残さない形での神話の継承は、
ギリシャにおいては詩人の唄によりなされました。
ミューズの女神の加護を求める詩人と
歌人である人麻呂には関係があるのでしょうか。

この歌が古事記と違うのは何故なのでしょう。
古事記のみを日本神話として絶対視するのは
何かしらの問題が横たわっているのかも知れません。

この周辺は掘り下げるとかなり色々出てきますが、
余裕が出たら書いていきます。

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