円仁と伊勢神道

伊勢神道に多大きな影響を与えたとされる、
『仙宮院秘文』が存在しているそうです。

鎌倉時代末期の書とされていますが、
天台座主・円仁の著述とされており、
円仁に関する特異な研究を行って来た
私の出番が廻って来た感じですね。

内宮・外宮が同格であるとる説明を
仏教的に説いた書とされていますが、
円仁は天台宗ではなく唐の五台山で
アショーカ王の仏教を学んだ僧です。

三代目の天台座主とされているので
平安初期の人物になりますが、
この時代に内宮・外宮の並列化を
主張しているとするのであれば、
私の一連の研究の正統性を保証する
根拠の一つになり得る情報ですね。

私の菅原道真の本を読んでみれば、
侵略側の天皇勢力と先住民族が戦い
国を取り戻していた説を読めます。

この時代から既に内宮・外宮の両宮が
密教理論で表裏一体の関係とされ、
両部神道による祭祀がなされていたと
考える事は十分に可能性と思われます。

賀茂御祖神社宮司の鈴木義一氏が
仙宮院秘文の研究を行っており、
仙宮院は文武天皇の大宝四年(704)、
役行者が開基したとしています。

以来、空海・最澄・円仁らが院主を
務めたとしてはいるのですが、
ここは私の研究では違う感じで、
ここだけ見ると偽書とする事も
可能な感じもしてしまいますね。

外宮の天御中主神(豊受大御神)は天神、
内宮の大日孁貴(天照大御神)は地神で、
この二つで一つとなる二宮一光の概念が
度会家行らにより取り込まれたそうです。

鈴木氏は度会神道を外宮の権威を高めるため
捏造した神道などではないとしていますが、
この渡会神道は後期伊勢神道を指している
可能性が十分にあるのが厄介なところです。

この二宮一光の思想は後の時代になり
金剛界を外宮・胎蔵界を内宮と見る
両部神道にも繋がってゆくそうです。

縑倉中期以降に神道書述作の動きが
仙宮院以外にも拡がった事により、
様々な両部神道書が伊勢の神宮周辺で
成立したとされている様ですね。

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