唐蕃会盟碑を唐・チベットの
両国の首都と国境に建てたと
伝えられてはいるのですが、
ラサの大昭寺の庭前にのみ
残されている状況だそうです。
となると他の碑は何らかの目的で
破壊されたと見る事が出来るのか、
歴史の隠蔽に関連する可能性も
ゼロではなさそうではあります。
唐とチベットが同盟していたなら、
会昌の廃仏はチベットの動向と
リンクしていた可能性があり、
視野を唐のみに限定せず、
広げる必要があるでしょう。
この頃のチベットに何らかの
会昌の廃仏と関係する出来事が
起きていたのでしょうか。
チベットには廃仏と関係する
大きな事件が起きていた事を
明確に見る事が出来ます。
そしてこれが会昌の廃仏と
日本の国内問題を見直す
重要な要素となって来ます。