牛李の党争の結末

廃仏の首謀者の武宗が皇帝になると
李徳裕が宰相に任命されますが、
彼は再び牛僧孺と李宗閔を左遷し、
宰相を独占したそうです。

武宗が死んで皇帝が代わると、
牛僧孺と李宗閔が復職して
李徳裕が失脚しますが、
二人は李宗閔を要職につけず、
党争に終焉が訪れたそうです。

武宗の死と共に会昌の廃仏や
党派の争いが消えた事になり、
武宗皇帝が全ての元凶とでも
言わんばかりの顛末ですね。

悪側の武宗・李徳裕と、
善側の牛僧孺・李宗閔の
分かりやすい構図の上で
一連の話が語られます。

しかし李徳裕の残した著に
これを完全に覆す内容が
記されている事について、
余り触れられる事はありません。

彼の功績については何も記さず、
一方的な悪者とする文脈の上で
話が進められる事を考えると、
どの勢力が彼を悪者にしたかが
浮かび上がって来ますね。

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