伊勢の両部神道の破壊
永仁四年(1296)内宮・外宮禰宜が連署した注進状の先例を破ったのが、外宮の渡会氏だったとされています。 度会氏は「豊受皇大神宮」と...
遥かなる太古の三遠と今後のビジョンの探求
永仁四年(1296)内宮・外宮禰宜が連署した注進状の先例を破ったのが、外宮の渡会氏だったとされています。 度会氏は「豊受皇大神宮」と...
闇斎が神道に関する文章を最初に著したのは明暦元年(1655)の『伊勢太神宮儀式序』と伝えられてはいるようなのですが、この年の春に塾を開いて...
延佳は慶安四年(1647)に70人余りの同志と共に伊勢の外宮に豊宮崎文庫を創建したとされます。 寛文十年(1670)の大火で豊宮崎文...
江戸時代前期の外宮の神職であった出口延佳(でぐちのぶよし)は、1621年に6歳で伊勢神宮の権禰宜となり、衰退した伊勢神道を興隆させるために...
林羅山は儒教で幕府の運営を良き物としようとしましたが、伊勢でも神儒合一論を用いて伊勢神道の再解釈が行われます。 衰退していた伊勢神道...
国学派では儒教を排除し日本特有の精神を取り戻そうとする動きが、本居宣長や賀茂真淵などによって提唱されて来たとされていますが、これには裏は無...
近年では古事記が有名になっていますが、江戸中期までは日本書紀が古典とされ、古事記に触れたのは十八世紀に入って本居宣長が語ってから以降とされ...
神田明神正面の髄神門を通って拝殿の東側に行ってみると、銭形平次の碑と並今東光撰文の石碑があるのが確認出来ます。 京都伏見稲荷神官の荷...
伏見稲荷大社境内に鎮座する東丸神社には、荷田春満(かだのあずままろ)が祀られます。 江戸時代中期の国学者・歌人とされ、賀茂真淵・本居...
本居宣長の父祖には浄土宗の篤信者が少なからず存在していたとされます。 彼の父だけでなく本人すらも幼時や青年時代に浄土宗の書物を読み儀...