国学と『源氏物語』
本居宣長は『源氏物語』の勉強会を主宰し、素直に喜び素直に悲しむことが大切であると「まごころ」の尊重を説いたとされますが、私からしたら勘弁し...
遥かなる太古の三遠と今後のビジョンの探求
本居宣長は『源氏物語』の勉強会を主宰し、素直に喜び素直に悲しむことが大切であると「まごころ」の尊重を説いたとされますが、私からしたら勘弁し...
本居宣長の政の定義は臣下が天皇に奉仕する事だとしているのですが、儒教を排除した後に政の定義を変え、天皇に絶対服従を強いて来ます。 神...
甫庵から藤樹の流れに見られる一神教的な神観念や信仰は、藤樹の高弟とされる熊沢蕃山で天道・鬼神の福善禍淫の働きを神明の報応必然と表現されます...
儒教では天を祭る事は天子にのみ許され郊祭と言う儀式の説明がありますが、藤樹は大乙神を士庶人も祭るべき神とし、「年譜」33歲の条にはこうあり...
藤樹の大乙神信仰の概略は、『大上天尊大乙神経序』と『霊符疑解』で確認されます。 造化天地万物。主宰禍福。充太虚徹万微。無所不知。無不...
当時の幕府には儒官の職制がなく、室町幕府以降は学問で仕えるのは僧侶の職とされていた事から、羅山は幕府から剃髪を要求され僧侶として幕府に出仕...
勝樹の皇上帝信仰は数年後に、大乙神信仰に発展しています。 「年譜」は寛永十七年33歳の時、 性理会通ヲ読ミ発明ニ男ジテ、毎月一...
江戸時代には儒教と神道が合一しますが、中江藤樹も儒教的に神道を解釈しつつ、一神教的な皇上帝の概念を提唱しました。 中江藤樹は31歳に...
安土桃山~江戸初期の儒学者であった小瀬甫庵(おぜほあん)によって、『太閤記』『信長記』などを記します。 信長や秀吉を記した歴史書の著...
江戸時代の前の段階では延暦寺から多くの新興宗教が出て来ましたが、牛一よりも前の段階においても、大乗仏教の中に一神教的な思想を見る事は十分に...