伊雑太神宮
江戸の地に伊雑太神宮が建てられた頃、伊雑宮のある志摩國答志郡磯部村では大きな動きが存在していたそうです。 神宮司庁発行の「皇大神宮別...
遥かなる太古の三遠と今後のビジョンの探求
江戸の地に伊雑太神宮が建てられた頃、伊雑宮のある志摩國答志郡磯部村では大きな動きが存在していたそうです。 神宮司庁発行の「皇大神宮別...
『先代旧事本紀』を見て気になるのは、『古事記』『日本書紀』は天皇の祖を天孫降臨したニニギとするのに対し、ニギハヤヒを重視している事です。 ...
『先代旧事本紀』は平安中期~江戸時代中期に『古事記』『日本書紀』と並ぶ古典とされ、重要な史書として信じられて来たと言われます。 この...
天皇の儀式として鎮魂祭があると語られて来ているのですが、鎮魂祭の詳細を記す最古の史料は『貞観儀式』とされている一方、起源伝承を記すもう一つ...
明治時代に『先代旧事本紀』を研究をした神職の御巫清直(みかんなぎきよなお)は、興原敏久(おきはらのみくに)を編集者と推察していた事が彼の本...
延佳は神道古典の校訂作業も行なっており、『先代旧事本紀』を校訂した『鼇頭旧事紀』、本居宣長にも影響を与えた『鼇頭古事記』等、様々な書物に関...
伊勢で大規模な廃寺政策を行った、山田奉行の桑山貞政は何者でしょう。 桑山貞政(さだまさ)は1613~1700年、江戸時代前期の武士と...
延佳と同時代の外宮の祠官・龍熙近は、神道五部書など伝統的な伊勢神道の理解に神仏習合論からの研究が必要だと提唱し、神宮が仏教を受容した歴史を...
『倭姫命世記』の研究の出発となった吉見幸和氏の説では鎌倉時代の初期に『宝基本記』・三部の書・『倭姫命世記』の順番に成立したと提唱されたとし...
吉見は享保四年(1719)に従四位上昇叙で上京した時に吉田家と論争して以来、吉田家(ト部氏)の神道支配の問題を国史の事実を元に明らかにしよ...