闇斎と火の祭
山崎闇斎の家では火焚祭(ひたきさい)が行われていたという話が残されていますが、『闇斎先生行状図解』は毎年一一月二二日に赤互飯・醴酒・蜜柑を...
遥かなる太古の三遠と今後のビジョンの探求
山崎闇斎の家では火焚祭(ひたきさい)が行われていたという話が残されていますが、『闇斎先生行状図解』は毎年一一月二二日に赤互飯・醴酒・蜜柑を...
闇斎が記した『中臣祓風水草』『神代卷風葉集』には当時入手可能であった多くの神道関連書が引用され、伊勢・吉田系の口伝があるとした指摘も多いそ...
闇斎は保科正之とともに吉川惟足から吉田神道を学んだとされています。 正之が惟足から「土津(はにつ)霊社」の号と「四重奥義」と呼ばれる...
江戸時代には吉田神道の流れを汲む吉川神道が登場して来ています。 江戸日本橋に住んでいた吉川惟足は36歳で鎌倉に隠居し萩原兼従に入門、...
闇斎の母は彼を身籠った時に日吉大社の神を夢に見たと言う話が残されてはいるのですが、実家の一族は何一つ分かりません。 日吉大社には中世...
鴨脚氏は下鴨神社の社家を代表する家柄で、現在でも京都の下鴨の地に留まっている唯一の世襲神職の家柄とされています。 下鴨神社では鴨脚氏...
闇斎の祖先は殆ど分かっていないそうで、闇斎自身書いた『山崎家譜』にしか、家系についての記述が残っていません。 ここに記載された最初の...
山崎闇斎の学問は崎門(きもん)派と呼ばれ、後に勤王思想の勃興にまで大きな感化を与えた思想の潮流を作り出したとされています。 崎門の儒...
平泉澄氏による山崎闇斎の研究では、闇斎が北畠親房の神道に関わる著を発掘した事が指摘されています。 北畠親房と言えば南朝の記事で触れた...
丸山眞男氏は『日本政治思想史研究』で、闇斎の家を訪れると獄に下る様な気持ちで、家を出る時は虎口から逃れる気がしたと、高弟の佐籐直方の発言を...