二人の倭姫

『神道五部書』に目を通していくと
伊勢の神宮の由来が書かれていますが、
古事記の記述をベースにしている様です。

伊勢の神宮を現在地に至るまで転々とし、
複数の元伊勢を作ってきた倭姫の記述は、
矛盾点が幾つも見受けられます。

古事記では倭姫はヤマトタケルに
草薙剣を渡す記述が古事記にあり、
十一代・垂仁天皇の御世に
内宮を造ったのみでなく、
二十一代・雄略天皇の御世に
外宮を造る時にも関与しています。

雄略天皇=ヤマトタケル説は書きましたが、
これもその根拠の一つとなっています。

垂仁天皇はB.C.69年~A.D.70年の人物で、
雄略天皇はA.D.418年~A.D.479年とされ、
400年近い差で内宮・外宮が造られたと
されているようですね。

年代の離れた二つの神社の創建に
倭姫が関与したとされているのは、
同一人物なのか役職名なのか、
はたまた後世の捏造であったのか、
どう解釈すれば良いのでしょうか。

『倭姫命世紀』には一書に曰はく、
「倭姫皇女ハ、垂仁天皇第二ノ女也」と
役職名で無い事が記されているので、
根拠となる書の中に矛盾が存在します。

内宮がソロモン神殿であれば、
複数の元伊勢はシナイ半島を移動し
幕屋を立てて契約の箱を祭った
旧約聖書をモチーフとしたのでしょうか。

現状ではまだ書けませんが
神道五部書には元伊勢に関して
非常に興味深い記述が存在します。

誰もこれを書いていない様ですが、
三遠の歴史に伊勢がリンクします。

中々余裕が作れない状況であるので、
聖地参拝企画も自分の用事のついでに
一緒に行った方が色々お得だろう的に
募集をかけたりしていますが、
現状出せるとしたらこの周辺ですね。

危ない人が参加して刺されてもアレなので、
ボランティアと言っても語源の通り
義勇軍の意味合いになりかねません。

古代の伊勢や出雲の参拝企画は
既に実行してきているのですが、
実地調査に一緒に行きたい人もいれば
そちらで企画を立てても良いんですけどね。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする