お伊勢参りとお伊勢講

江戸時代に数百万人規模の集団が伊勢に参拝する
「おかげ参り」と呼ばれる現象がありましたが、
ほぼ60年周期の「おかげ参り」だけでなく
お伊勢参りは鎌倉時代から行われていました。

大規模なムーブメントの裏に何かあるかと
私のような好事家が色々と邪推していますが、
伊勢参拝自体が謎の多いシロモノで、
古くは伊勢参詣は庶民はおろか、
皇族ですら制限されていたそうです。

中世の戦乱の影響で領地を荒らされ、
式年遷宮すら出来ない程に神宮が荒廃。
神宮を建て直すために祭司を行っていた御師は
外宮の御祭神である豊受大御神を広め、
農民に伊勢神宮へ参詣してもらうよう
暦を配るなど各地へ布教を始めたそうです。

平安時代が終わって武家政権となり、
元寇などの動乱も加わり社会が激変し、
神々の世界も下剋上が行われました。

ここで登場した伊勢(度会)神道は、
外宮の国常立命を復権を行いますが、
内宮への参拝を主としてはいません。

中世には来世の希望に寺院の巡礼が流行り、
後に神社にも巡礼がなされるようになり、
江戸時代になると現世利益が中心となって、
伊勢観光の仕事も出てきたそうです。

誰でも神宮参詣の旅に行けるとされていても
昔は庶民が多額の旅費を捻出するために、
「お伊勢講」という仕組を作ったとされます

「講」に所属した人達が定期的に集まり、
出し合ったお金を代表者の旅費とし、
くじ引きで代表者を決めるものの、
当たった人は次回から参加の権利が無くなり、
全員が参拝に行けるシステムだったそうです。

出発の時に盛大な見送りの儀式がなされ、
村では代表者の道中の安全を祈願し、
伊勢では皆の事を祈って土産を購入し、
帰還した時も祝いも行われたようで、
社会関係の構築に良いシステムですね。

平時のお伊勢講は氏子の協同体として機能し、
室町中期から畿内で始められたものが、
江戸以降に全国へと波及したそうです。

戦後GHQにより賭博行為とみなされ
解散させられたとされているので、
共同体を円滑に運営するシステムが
戦前まで機能していたとすれば、
ごく最近にこれを忘れた事になります。

祭や聖地参拝で共同体が協力しあうのは
日本文化の優れた伝統だと思いますが、
待つ事のみに止まらず普段の人間関係や
有事の協力体制などにも良い影響があり、
人生の幸福度も高そうな感じがします。

こう言うものは信仰の一言で片付けず、
もっと多角的な価値の検討をしないと、
簡単に切り捨てられて多大な損失が出る
危険性や責任問題がありそうです。

このおかげ参りが「ええじゃないか」や
日本の深層にどう関係するのかを
紐解いていこうと考えているのですが、
既存の説から見るとかなり飛んでいますね。

古代王権の威光がトヨタを世界企業に
押し上げる原動力となった可能性は
既に何度も書いてきているのですが、
日本そのものに多大な影響を与え続けた事も
多少なりとも了承する事ができたでしょうか。

この源流に触れる事で復興の力を
取り戻す事に繋がると考えています。

トヨタも時代の要請に答えた決断で
世界的企業に飛躍しましたが、
大規模な飛躍をする人材を多数輩出し、
世界に誇れる聖地とするためには、
まだまだやる事がありそうですね。

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