行基図

日本列島の古地図に行基図があります。

地図に行基の作とする記載のある
最古の年紀の記された行基図は、
京都の下鴨神社に伝わった
延暦二十四年(805)改定の
輿地図(よちず)とされますが、
行基の名は記載されてません。

奈良を起点とした経路は現存せず、
平安京のある山城国から楕円形の国を
七つ道線で繋いだ地図となっており、
この時代に行基が作った物でないと
見られているようです。

まあ行基が作った地図を元にして
後の時代に作られた地図かも知れず、
この時代にこれだけの地図が作れる
知識と技術があった事の方が、
驚くべき事ではありますね。

古い時代の行基図は南が上の地図が多く、
上下逆だと随分イメージが変わりますね。

行基以前から日本列島の地図が存在し、
行基集団がこれを引き継いだだけの
可能性も存在してはいます。

倭の五王が東は五十五カ国、
西は六十六ヵ国を統治にまわったと
中国と交渉する時に伝えているので、
空白の四世紀には朝鮮半島を含めた
大雑把な日本地図が存在していても、
全く不思議はない事になります。

東北の蝦夷地についても記載があり、
壬申の乱以前の倭国の配置を
研究するのに非常に有益な
資料なのかも知れませんね。

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