主役と脇役

某神社で神主さんと偶然出会い、
このエリアの祭に出て来る鬼が、
邪馬台国の鬼道の鬼である事を
様々な角度から説明してきました。

東三河には鬼の登場する祭が
複数残されてはいるのですが、
飽海神戸新明社の鬼祭以外は、
悪者でない鬼が多くいます。

ただこの鬼は粉を撒いたり
タンキリ飴をあげる等の
民への善行をしていますが、
位置付けは高くありません。

奥三河の花祭は鬼神が主役で、
元は花祭をしていたのを
侵略されて不可能になり、
鬼が軽く登場する程度でしか
継承出来ない様になったなら、
主役から転落していますね。

伊勢神道の神道五部書では
外宮の神を鬼神と記しており、
花祭で榊鬼と問答する神主は、
外宮の神官である度会氏です。

頼朝が鬼の面を寄進したのも
太古の歴史を知ってからか、
頼朝は伊勢でも外宮を優遇し、
伊勢神道を鎌倉幕府における
イデオロギーにしました。

花祭は太陽が最も衰える
霜月に行われる神楽なので、
太陽神の死と復活に纏わる
岩戸開きの御神事ですが、
そろそろ鬼神も主役として
復帰させても良い時期です。

この地域の鬼の祭とは
時期が被らないのが良く、
霜月に花祭を行うなら
バッティングしません。

最近この地域で発見があり、
花祭と関係する祭祀が
行われていた可能性の高い
神社を見つけてはいます。

更には長髄彦とも関係する
重要なエリアであった様で、
この周辺を本にしようと
頑張っているところです。

ただ掘れば掘るほど色々出て、
少しの疑問を解消するために
十冊は読み込むクラスの苦行を
長期継続している最中ですね。

本来は価値のあるものが
下に置かれる時代ですが、
まさしくこの国そのものが
低く扱われる状況にあります。

世界情勢の再編成の最中で
自立するための柱がないなら、
誇りも威信もない三流国として
没落する可能性は高いですが、
本来の価値を取り戻せれば、
資質自体は十分にあります。

勝負所でどう生きるかは、
源氏が語り継がれる様に、
子々孫々に渡り評価される
重いものとなって来ます。

貴方は後の世代から見て
どう評価される生き方を
しているのでしょうか。

主体性がなければ主役には
なれないのは当然ですが、
花祭は鬼と共に楽しむ祭で、
傍観する祭とは違うので、
端から見ているだけなのは
鬼神の評価も退くそうです。

長期に渡り落とし込められた
復権に関わる話であれば、
対応の功罪も長期に渡る
重い物となりそうですね。

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