アーサー・ヘルメス・グルーム

六甲山の開祖は六甲市長と呼ばれた
アーサー・ヘスケス・グルームです。

近代の六甲山の開発の歴史は、
明治28年に六甲山に別荘を
建てた事が始まりとされます。

トーマス・ブレーク・グラバーと共に
グラバー商会を設立した兄の勧めで
同商会に勤務した事により訪日。

長崎での勤務を経て1868年4月に
支店を開設するための出張員として
神戸外国人居留地に訪れたそうです。

1870年にグラバー商会は倒産し、
グルームは元同僚と共同出資して
モーリヤン・ハイマン商会を設立、
日本茶の輸出や中国紅茶の輸入など
交易を行った事で知られています。

1883年には横浜居留地へ移住し、
生糸の輸出を行うも業績不振で
10年ほどで神戸へ引き返し、
居留地内播磨町34・35番地で
茶の輸出を続けたそうです。

1897年に神戸外国人居留地内の
オリエンタルホテルを買収して
社長に就任したとされており、
1908年には居留地6番地に
同ホテルの新館を建設して、
高級ホテル事業を行います。

しかし恐慌で経営は悪化し売却、
1918年1月に死亡したそうです。

彼の経歴を見て詳しい人なら
ピンと来る所がありそうですが、
どこまで出して良いかが微妙な
歴史の深層に関わっていますね。

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