神功皇后の如意珠

島田福雄氏の『豊島郷土史論』に、
神功皇后が箕面の如意谷に、
如意珠を埋めた伝説を記しています。

神功皇后は新羅に勝利、
多くの戦利品を得て帰った。
如意珠と各種の宝石、
甲・弓・剣なども持ち帰った。
そのうち、
武器は武庫山(六甲)に、
甲は甲山に、
如意珠は箕面の山内に埋めた。
このことを知った者が
如意珠を埋めた場所を掘ると、
弁財天女が白龍に乗って降臨し、
白い雲を呼び、
西南に向かって飛び去った。
いまの如意谷の地名は、
埋めた如意珠に由来する。

神功皇后は新羅討伐に行った
伝承が残されていますが、
逆に百済の侵略で王が殺され、
乱れた国を統治するために
王となった卑弥呼とする説を、
平将門の本に書きました。

六甲山近辺には神功皇后の
伝承が幾つも残されており、
生田神社や二宮神社、
長田神社などにも伝承が
残されているようです。

長田神社では七匹の鬼が
神の使いとして災いを祓う
節分の儀式が行われるので、
鬼道の痕跡が見えますね。

広田神社は六甲山とも
深く関わる場所なので、
六甲山と邪馬台国との
関係が妄想されます。

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