菅原遺跡から回廊と塀で囲まれた
八世紀半ばの円形建物跡が発見され、
解釈がなされない状況にあるようです。
飛鳥博物館館長の舘野和己氏は、
奈良時代に例がなく驚いたと言い、
鈴木嘉吉・元奈良文化財研究所長は、
どんな建物か日本の研究者で
分かる人はいないと言ったそうです。
と言う事はこれに回答を提示すれば、
日本史上の専門的な謎の一つを
解消した事になりますね。
ブログで書いてもスルーされて
取り扱ってもらえない可能性も
ありそうな内容ではありますが、
一応、私の研究から回答は出ます。
どうも私の研究は鬼門なのか、
既存の学説と離れすぎなので、
インパクトの大きさに反比例して
取り上げられ方は弱いですね。
データと根拠を明示しているので、
否定側もデータと根拠を明確にすれば、
研究自体が進んでいく事になります。
世界に誇る文化遺産であると共に、
国家祭祀の根幹に関わる祭の保護に
関わる可能性が高いものであれば、
相応の責任感を持った対応を
お願いしたいところです。
可能性があるのに取り上げて検討せず、
邪馬台国の国家祭祀を断絶させたら、
その責任はどれ程のものなのでしょうか。