橘諸兄が行基と久米田寺や長弓寺を
開いたとする伝承が残されますが、
久米田古墳群に橘諸兄や光明子が
祀られる伝承の元なのでしょう。
橘諸兄は藤原四兄弟死亡の後に
政界で手腕を振るった人物ですが、
行基との関係が深いのであれば、
行基と政界の関係には想像以上の
深さがあったのかも知れません。
『長弓寺縁起』は神亀五年(728)に
鳥見郷の豪族・小野真弓長弓の息子が
聖武天皇に随行して狩りをした時、
不思議な鳥に矢を放ったところ、
誤って長弓に当たり死亡したので、
これを憐れんだ天皇が行基に命じ
建立させた寺院と伝えています。
728年は行基が悪者扱いされ、
東大寺大仏建立のために
聖武天皇から認められる前で、
長屋王が藤原四兄弟のために
自害したのが729年とされます。
この伝承の解釈をどうするか、
様々な仮説が提唱されるでしょう。
長弓寺には役小角の像があり、
行基以前から修験道の聖地として
存在していた可能性があります。
何かしら行基伝承には矛盾が多く、
橘諸兄と関係していたのであれば、
政治的な背景のある問題が
横たわっている可能性が
非常に高いものとなりそうです。