古代の国土開発は土地の生産性・利便性・防禦などの
現実的な条件は当然の如く考慮に入れられていましたが、
基幹的には宇宙論をベースとしていました。
人の動きを道理に合致させて高い効果を得るのは
太極拳の修練などで追及されていますが、
同様の理論を国土開発などにも適応させていたようです。
帝都は天象(星座)と結びつけられて設計され、
堯・舜など聖王の行いは天地の道理に合致していたので、
必然的に帝都の立地は正龍を得て天星の垣局に合い、
風水の道理に合致しない都市はただちに壊滅したと語られます。
天と地の気の交流や様々な地に気を運ぶのを龍の働きと捉え
天の星座を地上に映すのを都市開発の基盤としていました。
近年では山の連なり以外に道路や鉄道も気を運ぶ通路とされ、
東京でも山手線に連結された鉄道が様々な地域の気を
導いて来ているとも言われています。
日本にも天の星座を地上に映したものは数多く見られ、
平将門の首塚を含めた神社が北斗七星の形に配置されたり、
奈良や大阪の神社なども星座の形に配置されたものがあります。
近年にみられる後先の事を考えない都市開発ではなく、
天地の調和や循環を重視した痕跡は幾つも見られます。
古代の都市設計がどの様な心でなされたかは
古文献を調べると分かります。
では、現代と比較して見直す価値のあるものかを
検討していくことにしましょう。