阿保親王の神話に関わる
大和三山の争いの歌は、
中大兄皇子が歌ったと
伝承されていますね。
ここで私の著作を読んだ方は
ピンと来ると思いますが、
中大兄皇子は後の天智天皇で、
危険な話に関わって来ます。
中大兄皇子は天武天皇と仲違いをし、
天皇家が二分する古代世界最大の
壬申の乱が勃発したとされます。
三山の争いが壬申の乱の暗喩であれば、
この戦に加勢しようとした勢力の末裔が
阿保親王であった可能性が浮上します。
であれば親王の父である平城天皇は
壬申の乱以前の勢力の王であり、
安史の乱で考謙天皇が唐と共に戦い
朝廷から奈良の地を取り戻した後、
復興していた線が濃くなります。
壬申の乱を百済からの侵略戦争と
研究の結果導き出していますが、
既に何冊も書いた話なので、
詳細は省略しても良いですね。
薬子の乱として隠蔽された
平城天皇と嵯峨天皇の戦いは、
大規模な軍事的衝突であった
可能性については書きました。
平城天皇の皇子とされる親王は
相応の軍事力を保持しており、
密告ではなく橘逸勢らと共に、
軍事行動に出ていた可能性を
考慮せざるを得なくなります。