平城天皇の戦い

阿保親王が大和での戦いに
仲裁に入れるだけの勢力を
保持していたとすれば、
阿保親王の兄の平城天皇も、
軍事的な勢力を保持した
先住民族サイドでしょうか。

平城天皇が薬子に唆され、
勢力確保に東へ向かう時に
坂上田村麻呂に阻まれた話も、
捏造の線が濃くなります。

これはどう見ても軍事的な
衝突のあった歴史の隠蔽が
なされていそうですね。

朝廷が覆されていた歴史を
認めるのが嫌であったのか、
万世一系を崩したくないのか、
御家騒動とされる中には、
この類いの話が多そうです。

これらの説は私の行基の研究を
前提にしないと成立しないので、
ボタンを掛け間違えると後々に
問題が起こって来ると言う、
事例になり得るかも知れません。

一番初めのボタンを掛け間違えれば
後の全ての歴史が問題だらけになり、
下手をすると人類創成の段階から
掛け間違いがあるかも知れませんね。

流石にそこまでは学術的な研究で
カヴァー出来る領域ではないので、
私に出来る範疇で最大限の努力を
継続している所ではあります。

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