江戸の神道研究

江戸幕府による文治政策や
諸藩の学問奨励策などの結果、
藩校や私塾が発達しただけでなく
活発な神道研究も始まりました。

儒学は五山(臨済宗)の僧が
継承して来ていましたが、
江戸時代には仏教から離れて
独自に学ばれ始めます。

しかし問題なのが朱子本人が、
宗で流行っていた禅宗を批判し
儒教の正統性を訴えたのに、
禅宗である臨済寺で学ばれた
矛盾が存在している事ですね。

朱子学を学んだ儒学者は仏教より
儒教と神道との関係性を究明し、
神道と儒教の本質が一であるとする
儒家神道を提唱する事になります。

この中に林羅山も含まれていますが、
彼が神道に深く関わっていら事は、
殆ど知られていない歴史的事実です。

彼らは仏を上で神を下に置く
本地垂迹説を否定しましたが、
唯一宗源を称した吉田神道にも
仏教色があり排斥したそうです。

ここには大きな矛盾があって、
羅山のみに止まらない問題が
内包されてはいるのですが、
彼だけでなく他の神道家にも、
朱子学と結び付いた神道を
提唱する者が多く現れました。

羅山は体制側の人物でありますが、
明治以降は悪なる体制に対して
立ち上がる神道家の構図があり、
大本教などもこれに該当すると
考えられて来てはいますね。

しかし江戸初期の神道について、
この構図が当て嵌まるかどうかを
見直す必要性がありそうです。

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