熊野とインド
平安末期に記された『長寛寛文』(1164)に載る「熊野権現御垂迹縁起」の熊野三所権現は記述は、 むかし甲寅の歳、唐の天台山の王子・信...
遥かなる太古の三遠と今後のビジョンの探求
平安末期に記された『長寛寛文』(1164)に載る「熊野権現御垂迹縁起」の熊野三所権現は記述は、 むかし甲寅の歳、唐の天台山の王子・信...
『諸山縁起』に記された役小角は、発心門で出会った老人から、熊野の地主神・麁乱(そらん)神が熊野権現の来臨により居場所を失い、発心門・滝尻・...
南北朝時代中期に成立したとされる『神道集』第六巻の中に記された「吉野象王権現事」にこうあります。 吉野象王権現事 抑象王権現者...
ダキニ天は狐に乗っていますが、民俗学研究家の故吉野裕子氏は狐をインドでは彗星、中国では北斗七星を示すものと説明しています。 狐が北斗...
吉野の金峯山寺の足下に、小さな稲荷社が存在しています。 1333年、後醍醐天皇が夜中に吉野に逃げる途中に道に迷い、 むば玉の暗...
熊野三山に南朝の調査に行ったついでに『東三河の徐福伝承』を寄贈しましたが、熊野ではヤタガラスを祀るものの、徐福に関しての伝承は皆無の様でし...
北畠親房は東北にいた時に『神皇正統記』を書いたとされ、白山本を始めとする諸写本の中に、 此の記は去る延元四年秋或る童蒙に示さんが為に...
『神皇正統記』を記した北畠親房は、戦前に南朝の忠臣と称えられたのに戦後は一転して酷評されるようになり、昔の恋人の悪口しか言わないような両極...
『青木文献』には東三河の地における親房と後村上天皇の話が記されますが、後醍醐天皇が崩御した時点において、親房は東北を治めていた事になってお...
青森県の東半分から岩手県北部に及ぶ日本中世最大の郡であった陸奥国糠部郡は、文治五年(1189)の奥州合戦の後に、鎌倉北条氏の所有となってい...