空海と最澄と□□
余り仏教史に深く切り込む事は考えていなかったのですが、橘逸勢の周辺を探っていくと、空海や最澄に関わって来ます。 一般的には空海と最澄...
遥かなる太古の三遠と今後のビジョンの探求
余り仏教史に深く切り込む事は考えていなかったのですが、橘逸勢の周辺を探っていくと、空海や最澄に関わって来ます。 一般的には空海と最澄...
円仁は会昌の弾圧を行った武宗を酷く書き記しており、道教に傾倒した愚劣な人物の印象を持たせる様々な記述を彼の日記に書き残しています。 ...
斉衡三年(856)以降、円仁は天皇・皇族・貴族に灌頂と授戒を推し進めます。 文徳天皇とその周辺の人物達や、皇太子(のちの清和天皇)に...
武宗は仏教を外国宗教とし、父・耕作者・公僕などの社会的責任を営む善良な民を社会から奪う反社会的宗教とし、仏教のために多くの土地が免税地とな...
円仁は会昌の廃仏が始まった841年に日本に帰る許しを乞う嘆願書を提出するも却下されたとされます。 845年3月には絶望して還俗を願う...
841年に始まった仏教への対応は、852年に特定の分野の僧尼を還俗し、納税義務者にする最初の勅令が発せられたと記されています。 仇士...
五台山を去った円仁は、黄河を渡って長安の都に八四〇年に到着します。 数日の後に政府の命で資聖寺(ツシエングス)に移る事となったとされ...
五台山は北魏の頃から文殊信仰の聖地とされ、玄宗時代に密教の聖地なり東アジアの霊場となります。 五つの主峰の頂には樹木がなく、なだらか...
ブログで書いた内容について本に纏めたりしていますが、豊川稲荷の本を読んで頂ければ、ブログの焼き直し以上の内容が書かれた事が分かると思います...
円仁は五台山の台頂の光景を、日記に書き残しています。 中心に玉花池有り。四方は各々四丈許り、名づけて竜池と為す。池の中心の小嶋の上に...