841年に始まった仏教への対応は、
852年に特定の分野の僧尼を還俗し、
納税義務者にする最初の勅令が
発せられたと記されています。
仇士良は仏教弾圧に反対して、
彼の管轄下にある三人の日本僧と
十八人の外国人聖職者に対する
庇護の手を継続したものの、
843年6月に死亡したそうです。
円仁は仇士良の庇護により
長安で仏教を学んだので、
武宗の軌条を逸した行為を
余す所なく記しています。
弾圧は844年後半には更に悪化し、
翌年まで続いたそうです。
弾圧が強化されるにつれて、
全ての残った僧尼が還俗させられ、
全ての僧院と仏教的建造物は
破壊を命じられたと言います。
武宗が846年3月に崩御する事で
弾圧が緩和したとされますが、
隆盛を極めた唐の仏教勢力は、
二度と立ち直れない打撃を
受けた事が記されています。