張宝高は日本~唐~アラビアの
長い海道を開拓した人物とされ、
清海鎮を北東アジア交易の
中心地に作り上げたそうです。
アラビアまでとは凄いですが、
これだけの大人物で遣唐使にも
力を貸してくれた大恩人の話が
殆ど知られていない状況なのは、
どの様な背景があるのでしょう。
日本では海商としてしか
認識が広まっていませんが、
海軍にも関わっています。
張宝高は790年頃に
新羅南部の莞島で、
賎民に生まれたそうです。
彼は幼い頃に両親を
海賊に殺されており、
810年に中国の山東半島で
徐州武寧軍に入る事で、
高句麗人出身の北方軍閥の
李正已と戦っています。
彼が高句麗から嫌われますが、
海商でなく軍事関係者として
見る必要性がありますね。
828年頃に新羅に帰国すると、
興徳王に新羅人が中国で
奴隷として売買されてると
報告したそうです。
青海鎮大使に任命され、
一万の兵を率いて、
奴隷貿易に対応しますが、
海賊達に武力を用いず、
より割の良い仕事を与え、
海運業・造船業が栄えます。
まさに神クラスの人物で、
円仁が彼を祀った事も、
普通に納得出来ますね。