
狐と阿須加神社
熊野速玉大社の近くに鳳来山があり、この山の麓に阿須加神社が鎮座します。 阿須賀には徐福渡来伝説が残され、徐福一行が阿須賀の地...
遥かなる太古の三遠と今後のビジョンの探求
熊野速玉大社の近くに鳳来山があり、この山の麓に阿須加神社が鎮座します。 阿須賀には徐福渡来伝説が残され、徐福一行が阿須賀の地...
平安末期に記された『長寛寛文』(1164)に載る「熊野権現御垂迹縁起」の熊野三所権現は記述は、 むかし甲寅の歳、唐の天台山の王子・信...
『諸山縁起』に記された役小角は、発心門で出会った老人から、熊野の地主神・麁乱(そらん)神が熊野権現の来臨により居場所を失い、発心門・滝尻・...
南北朝時代中期に成立したとされる『神道集』第六巻の中に記された「吉野象王権現事」にこうあります。 吉野象王権現事 抑象王権現者...
吉野の金峯山寺の足下に、小さな稲荷社が存在しています。 1333年、後醍醐天皇が夜中に吉野に逃げる途中に道に迷い、 むば玉の暗...
豊川市御油町の八面神社は、楠社と呼ばれていたと言います。 三河吉野朝の研究においては、この周辺に王田殿という御所が有り、長慶...
『青木文書』には寛成親王(長慶院)が天皇山明燈院(豊川市御油町西沢)で降誕し、六歳の時までここに住んでおられ、明燈院の細川貞海和尚と共に吉...
ある程度は周辺情報を押さえてきたので、 そろそろ本丸の東三河の南朝の研究を 手掛けていこうかと思います。 ここに南朝(吉野朝)の正流が存在...
延元二年(1337)に弘真が著したとされる『金峯山秘伝』下卷の蔵王権現にこうあります。 主上の御修行のおんために蔵王次第、これを記し...
一通り出し尽くした感のある南朝ですが、ここまでは前振りでしかありません。 南朝の歴史が捏造であったとしても、本来の南朝の姿がどの様な...