文聖王への反落
『三国史記』新羅本紀・文聖王に、 (三年)秋七月。唐武宗勅、歸國新羅官前入新羅、宣慰副使充兗州都督府司馬賜緋魚袋金雲卿、可淄州長史、...
遥かなる太古の三遠と今後のビジョンの探求
『三国史記』新羅本紀・文聖王に、 (三年)秋七月。唐武宗勅、歸國新羅官前入新羅、宣慰副使充兗州都督府司馬賜緋魚袋金雲卿、可淄州長史、...
新羅・高句麗・百済の三国の歴史を記した『三国史記』の編纂者であるキム・ブシクは、張宝高(チャン・ボゴ)を罪人として記述しています。 ...
張宝高の務めた上大等は新羅の最高官職とされており、一王代に一人が任命されて王と共に進退する職務とされ、彼の評価に疑問を浮上させます。 ...
張宝高が暗殺された後に、文聖王は851年に清海鎮を廃止。張宝高の以前の部下たちは、慶州の碧骨県(今の金堤)に移動させられたものの、再び反乱...
『続日本後紀』は張宝高が841年の11月までに死んだとしていますが、承和七年(840)に日本と新羅の通交が拒否された後であっても翌年には民...
張宝高は神武王を立てますが、新羅王に叛いた事で殺されたと伝えられているようです。 閻長による暗殺の記述は『三国史記』新羅本紀の文聖王...
以前こっそり赤と山禅院に調査に行って来ましたが、ここは円仁に由来する寺院とされています。 ここの本尊は財福を与える赤山大明神とされて...
円仁は赤山法華院に行っており、現在この寺院には張宝高の8mの像が起立しているように、張宝高が仏教と密接に関わります。 新羅には花郎(...
張宝高は貿易業者だけでなく、政治にも関わっていました。 彼は唐に渡って軍務に服した後に、帰国して青海鎮 (全羅南道) に拠って唐・日...
張宝高は日本~唐~アラビアの長い海道を開拓した人物とされ、清海鎮を北東アジア交易の中心地に作り上げたそうです。 アラビアまでとは凄い...