五台山の情景
円仁は五台山の台頂の光景を、日記に書き残しています。 中心に玉花池有り。四方は各々四丈許り、名づけて竜池と為す。池の中心の小嶋の上に...
遥かなる太古の三遠と今後のビジョンの探求
円仁は五台山の台頂の光景を、日記に書き残しています。 中心に玉花池有り。四方は各々四丈許り、名づけて竜池と為す。池の中心の小嶋の上に...
五台山に到着した円仁が最初に中台の頂上に行くと、南側はに三つの鉄塔が聳え、武則天が五台山の鎮めとして建てた物と伝えています。 中間の...
五台山で信仰される文殊菩薩とは一体何者であったのでしょうか。 私の岩戸開きの本に書きましたが、文殊菩薩はヘレニズムにおける重要な人物...
円仁は唐の文殊信仰の聖地五台山で修行したとされます。 日本で五台山に対する信仰が興って来たのは円仁からで、後に日本人僧侶が五台山に何...
円仁が唐で学びの場としたのは優れた僧の集まっていた長安で、青竜寺の義真和尚に宛てた手紙にこう記されています。 円仁は法の為に遠く来た...
橘逸勢の時代を見直すにあたり、挙げておくべき人物が存在します。 第三代天台座主であった円仁は、十五歳で比叡山延暦寺に入り、最澄により...
橘逸勢の後に遣唐使として唐で密教を学んだ僧侶は何人も知られてはいますが、逸勢の時代を考える上での重要なヒントを与える僧に円仁が(えんじん)...
橘逸勢は大同元年(806)に、遣唐使判官・高階遠成に従い、空海らとともに帰国したと伝えられてはいます。 しかし空海は真言密教を二年で...
橘逸勢は空海以外にも、最澄とも同期とされ、中々の顔ぶれです。 更に菅原道真公の祖父も最澄と共に渡唐したとされ、時代を動かした面々の中...
遣隋使は小野妹子が有名ですが、遣唐使は孝徳天皇の世に始まり、斉明天皇の御代に一度、天智天皇の御代に二度、天武・持統の両代には無く、文武天皇...