月神と人麻呂

以前、安曇野に調査に行ったついでに
移動の途上で某神社によったところ、
子供の頃の菅原道真の像が置かれ、
月を読んだ歌が記されていました。

神田明神には菅原道真と柿本人麻呂が
合祀されている神社がありますが、
双方ともに人なのに神として祀られ、
月との関係が仄めかされています。

道真に至っては天神などと呼ばれ
とんでもない格上げがなされています。
牛を祀るなどの人と関係ない信仰は
怨霊を祀るのでは説明がつきませんが、
両者には秘められた謎がありそうです。

兵庫県明石に鎮座する人丸山月照寺には、
人麻呂を祀る柿本神社が鎮座していますが、
『月照寺寺伝』に経緯が記されています。

五十二代嵯蛾天皇弘仁二年(811)に
空海が赤松山に寺を建立し湖南山陽柳寺と称し、
五十八代光孝天皇仁和三年(887)に
時の住僧覚証和尚が見た人麿の霊夢で
この地に人麿の神霊が留まるを感得。
大和国柿本寺から船乗十一面観世音を勧請し、
寺中に観音堂を設けて海上安全を祈り、
寺内に人麿の祠堂を建て寺の鎮守としたそうです。

この時、寺号陽柳寺を月照寺と改め、
人麿社を寺の鎮守として創祀したそうですが、
なぜ月なのかの根拠は記されていません。

月照の文字で天照との対比を連想しますが、
古事記ではほとんど記されない月神が
なぜ人麻呂と関係付けられたのでしょう。

人麻呂は古代ヤマトの謎を解くための
キーマンの一人に挙げられますが、
奥三河の月地区に槻(つき)神社が鎮座し、
謎多き瀬織津姫が祀られていました。

古代王権では月神祭祀も重視されていたのか、
太陽神ばかりを重視して月神を疎かにするのは
一神教的な発想に見られる傾向ですね。

人麻呂が神として祭られるようになった事に
いかなる背景が存在したのでしょうか。
この周辺を探ると平将門周辺の問題にまで
リンクしてくるのが興味深いところです。

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