詩とヤマト

儒教経典に『詩経』がありますが、
元は『詩』と呼ばれていたそうです。

詩は孔子が重視した事でも
知られてはいるのですが、
世渡りの技術を遥かに越えた
奥深いものが存在しています。

言に寺と書かれていますが、
古代中国の寺は政祭一致の
行政機関であった事から、
ここで用いられた言葉が
詩と言う事になるのでしょう。

この時代は人々が自然の中に
生きた神々を見た時代とされ、
人だけでなく自然界の神々とも、
どう共存していくかを伝えます。

自然のみでなく田にも神がいて、
稲の魂が収穫に影響する事も、
肌で感じて祭祀を行ったなら、
自然との調和の概念が現代とは
根本的に違うものとなってきます。

詩は歌い舞われた古代歌謡で、
青銅器にもその痕跡が見られ、
徐福が銅鐸を持ち込んだ事から、
古代ヤマトの農耕祭祀において
詩のは影響が存在した可能性は、
考慮に入れる必要があります。

一般的に語られる神道の概念も、
歴史的にどこに根拠を置くかで
全く変わったものになりますが、
伊勢神道も修験道と同様に
密教の影響が混在しています。

古代山岳信仰である三輪山も、
三輪流神道に密教が混入し、
古代祭祀を考えさせられます。

神道単体の思想で古代神が
祭祀された訳でないのなら、
アショーカ王の仏教のように、
様々な宗教の精髄を集めた
国家祭祀であったのでしょう。

であれば詩経を研究する事は、
神道の理解にも通じる事になり、
言霊の幸う国としての在り方を
取り戻すための鍵となり得ます。

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