浦島太郎の最も古い形態は、
『丹後国風土記(逸文)』や
『万葉集』に伝えられますが、
『日本書紀』にも見られます。
『日本書紀』雄略天皇22年、
丹波国の瑞の江の浦嶋子が
登場する話が記されます。
ここで問題なのが雄略天皇で、
この天皇の時代に豊受大神が、
真名井神社から伊勢に遷ったと
記述されている事でしょうね。
雄略天皇の時代の人物が
空海の頃に帰って来て、
玉手箱を渡したのなら、
丹波の国とリンクします。
浦島太郎を神として祀る
宇良神社が丹波に存在し、
この周辺にも様々な謎が
存在しているようです。
六甲山周辺と籠神社周辺は、
陰陽の関係のように密接に
関わっているのでしょうか。
これだけなら弱い根拠でも
数多く関係した話が出れば、
考慮すべき対象となります。
丹波にも神社群が北斗七星を
描いていると言う話があり、
六甲修験道を連想させますが、
役小角側でなく此方の勢力が
構築したものなのでしょうか。
コメント
いつも刺激のあるお話ありがとうございます。本年もぜひお元気に邁進される事を願います。
丹波や但馬の国の山は法道仙人の開山が多いです。また篠山の修験道は熊野の修験道に滅ぼされたという逸話があります。つながりますでしょうか?
法道仙人は非常に深く関係しています。
熊野と法道仙人の修験道は別の系統であり、片方は修験と呼ぶに相応しくない可能性が高いです。