唐滅亡後の鎖国時代

『遼(契丹)史』には925年における
日本からの来貢の記述があるものの、
日本側には記述が残されていません。

朝鮮半島は新羅末期の混乱期にあり、
混乱に乗じて自立した後百済や高麗が
日本に使者を送っても拒絶したとされ、
半島との外交関係が無い時期とされます。

この時期に新羅の辺境の人が日本の侵害し、
新羅海寇と呼び恐れられていたそうですが、
『日本書紀』から新羅嫌いの記述が多く、
対外関係の悪者は何でも新羅ですね。

新羅海寇も本当に新羅が行ったのかが
微妙な部分があるアジア情勢であり、
契丹海軍が日本に侵攻していたとしても
おかしくはない状況ではあります。

925年の契丹への朝貢が行われた後に、
次回の朝貢までに百数十年空いた事が
『遼史』に記されているのですが、
最低でもどちらかが嘘になります。

醍醐天皇の後に朱雀天皇が立ち、
ここで摂関家が復活しており、
平将門や藤原純友が反乱したと
伝えられている時代になります。

次の村上天皇になると摂関家を
再び排除した政治を行ったとされ、
国内で何かしら大きな動きが
存在した可能性は高いでしょう。

平将門の乱に隠れて藤原純友は
マイナーな立ち位置にありますが、
乱の鎮圧にかかった時期を見ると
純友の乱の方が遥かに長く、
その割に記述が少ない状態です。

藤原純友は西日本で乱を起こし
大宰府を焼いた事を考えると、
彼の動きは半島や大陸との
関係を視野に入れる必要性が
存在している事になるでしょう。

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