熊野と徐福
熊野三山に南朝の調査に行ったついでに『東三河の徐福伝承』を寄贈しましたが、熊野ではヤタガラスを祀るものの、徐福に関しての伝承は皆無の様でし...
遥かなる太古の三遠と今後のビジョンの探求
熊野三山に南朝の調査に行ったついでに『東三河の徐福伝承』を寄贈しましたが、熊野ではヤタガラスを祀るものの、徐福に関しての伝承は皆無の様でし...
北畠親房は東北にいた時に『神皇正統記』を書いたとされ、白山本を始めとする諸写本の中に、 此の記は去る延元四年秋或る童蒙に示さんが為に...
『神皇正統記』を記した北畠親房は、戦前に南朝の忠臣と称えられたのに戦後は一転して酷評されるようになり、昔の恋人の悪口しか言わないような両極...
『青木文献』には東三河の地における親房と後村上天皇の話が記されますが、後醍醐天皇が崩御した時点において、親房は東北を治めていた事になってお...
青森県の東半分から岩手県北部に及ぶ日本中世最大の郡であった陸奥国糠部郡は、文治五年(1189)の奥州合戦の後に、鎌倉北条氏の所有となってい...
愛知県豊川市に鎮座する八面神社に楠木正行の伝承が残されていますが、一般的な歴史で語られる内容は、この伝承とは違っています。 『太平記...
三河南朝説では八面神社の御祭神である楠木正儀の特異な伝承を伝えており、三河王田殿に御所を構えた長慶天皇を守り、三河の赤坂落合の地で足利軍と...
豊川市御油町の八面神社は、楠社と呼ばれていたと言います。 三河吉野朝の研究においては、この周辺に王田殿という御所が有り、長慶...
三河に南朝が拠を構えていた研究は既に多数の文献が書き残されています。 吉野の南朝はダミーであり、三河吉野朝こそ正当とする説は...
某神社の神主さんに御祭神についてお話を聞く機会がありましたが、こちらが教えて欲しいとの事で、何か歯切れが悪い隠している様な印象を受けた事が...