公園の池が干上がったので、
池の鯉を退避させる話をし
向山の大池に移したので、
大池の図書館に行くついでに
池を見に行って来ました。
流石にかなり大きな池なので、
鯉を見つけられませんでしたが、
端に水神が祀られているので、
挨拶に行って来ました。
鯉の面倒を見て頂いた事に
礼をして帰ろうとすると、
池の中に錦鯉がこちらに向かい
佇んでいる姿を見れました。
避難させた鯉だったのかは
断定出来ない所ですが、
水神に言われ礼に来たなら、
鯉にも思われている以上の
心や知性があるのでしょうか。
家の中で子蜘蛛と鉢合わせし、
僕何も悪い事してないよと
訴える様な目をしてきた事も、
最近経験した事があります。
蜘蛛も種類によっては益虫で、
人間に迷惑をかけずに共存する
知恵を持った生命であったなら、
自然界で一番知恵の無いのが
人間と言う事になりかねません。
共存の知恵は近年急速に失われ、
人間が一番偉いかの如く、
好き勝手をしていますね。
人間にも優しい人もいれば
身勝手な人も存在しますが、
自然とは話し合いをせずに
搾取対象として扱うなら、
win-winの関係が築ける事も、
棄損している事になります。
案外と古代人の方が自然界の
様々な存在との対話を行い、
共存関係を築いていたのかも
知れないと思える節があります。
古代中国の詩経のみでなく、
万葉集もこの国に存在し、
現代的な感性では読み解けない
心情が存在すると言われます。
何故か蝦夷地とされた浜松に
万葉の森が存在しており、
万葉集の中の一定の数が、
ここで歌われた物とされます。
全て科学で解明された様に思い、
実際は浅い所までしか知らない
知恵の無い文明に成り下がった感が
20世紀と言う時代にはありますが、
21世紀以降に何が必要なのでしょう。
白人のみが優れ搾取しても良いと
植民地を拡大してきたのと同様に、
自然を見下し搾取する流れが
限界を迎えつつある現代は、
自然の様々な相手と対話する心が
必要なのではないでしょうか。