自然農の概念

有機農法や自然栽培等の概念は、
近代の石油や農薬に依存した
問題の噴出する農法に対する
アンチテーゼ的なものですが、
そもそも江戸時代までは
自然農も何もありませんね。

江戸農法=自然農かと言えば、
江戸時代の農法についての
歴史的研究自体が弱いので、
これを指している訳でも
無いような感じも受けます。

明治以降に断絶された部分が
かなり存在していそうなので、
本を読むだけで理解するのは
難しい所がありますね。

祭のような地域文化の継承は
文献で残すのは至難の技で
一旦途絶えれば復興が難しく、
農耕祭祀も然りでしょう。

花祭も動画で保存されていますが、
動画で習得出来る物でないのは、
武術と同じ話だとは思います。

ええじゃないかの遠因となった
志多羅神上洛事件ですらも、
農に関わる歌を歌いながら
神輿を担ぎ上洛していますが、
農業と御神事が結び付いた物は
江戸農法と定義されていません。

人によって自然栽培の定義すら
マチマチな部分がありそうですが、
そもそも自然に対する認識ですら
人によりかなりの差があります。

先住民族の信仰には自然界を
神の領域として扱うものが
残されて来ていますが、
自然を神の被造物とする
聖書の信仰が近代の基盤に
存在すのは確かでしょう。

汎神論的に言えば宇宙の全てが
神の現れとされてはいますが、
特権階級のように搾取する
搾取文明により排除された物は、
農法も含め多大にありそうです。

現代は科学や機械を用いる事で
少人数で大規模に生産可能となり、
若い人達は都会に仕事に行って、
稼いだ金で石油で都会に輸入した
食物を買う流れになっています。

東京が全国の富を吸い上げて
地方とのバランスが崩れて
トータルで悪化していますが、
地域文化の継承が途絶える事が
農に影響を与える重大な損失と
認識される事は少ないです。

マツリゴトの中に自然と調和する
概念が含まれていたのであれば、
古来の自然農は祭祀を伴った
諸霊との共同作業なのでしょう。

武術の自然体は修練の先にあり、
素人が立っているのとは、
根本的に違っていますが、
自然の働きも余りに高度過ぎて、
浅知恵では認識出来ないのでしょう。

現代でこそ霊と言えばオカルトか
墓参りか神社参拝程度ですが、
日月や山や川や田にも神が存在し、
穀物の神や霊も収穫に影響する
位置付けがなされていたのなら、
人間以外の様々な霊との関わりを
どうするかが問題となります。

地霊を祀る古代人はこの問題に対し、
真摯に向かい合って来たのでしょう。

病は気からと言われるように、
ストレスだけでも免疫が落ちて
腸内細菌等にも影響が出るので
精神状態の改善も重要ですが、
祭祀で地霊の健全度が上がれば、
良い微生物も繁殖しそうです。

現代科学でも微生物について
全貌が解明されてはいませんが、
人間よりも遥かに気配に対し
敏感に反応しそうではあり、
祭祀の影響も大きそうです。

昔は水神や田の神の仮面を被った
神のカタシロが祭祀に登場しますが、
自然を司る神々も人と同じように
感情があり話の通じる相手として
扱っていた事が分かりますね。

自然を司る神には龍神が存在し、
様々な神社で龍神が祀られますが、
これを昔の迷信として排除するのは
科学で自然を支配出来ると考えて
搾取してきた文明の汚染でしょうか。

かのアショーカ王の碑文には
神々と交流していた事が記され、
ヘレニズムの農業も自然の神々と
密接な交流をする祭祀の上に
成立した可能性が高まります。

アリストテレス以降に自然を下に見る
優越思想が一神教に導入された流れが
現代にまで継続して来ていますが、
この国の中にもヘレニズム的な、
自然に神を見る信仰が残されます。

文化的要素を話し出すと宗教勧誘か
危ない人扱いされかねませんが、
近代農業も問題が数多くあるので
棚上げして非難ばかりも出来ず、
包括的な取り組みが必要でしょう。

歴史的研究の基礎を確立する事が、
これらの問題に対するアプローチを
有益なものにすると考えています。

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コメント

  1. 瀧井寛子 より:

    藤原直哉さんのTwitterから来ました。ありがとうございます!
    https://twitter.com/naoyafujiwara/status/1580535123149492224?s=61&t=ukDqz2L9hX1nmnuekdktkg

  2. 牧之瀬雄亮 より:

    自然農を提唱されてこられた、福岡正信さん、川口由一さん、りんごの木村さんはじめ、多くの実践者の方々は、まるでキリストが受難するように、何年も爪に火をともすような生活をなさって、しかも「この道しかない」と泰然と今日まで続けていらっしゃる。たいへんなご苦労されたという回顧はどの方もありますが、

    川口さんは、「よく近所の人に色々と意見されることはあったけれど、早く自分の田畑に行きたくって『はい、次からそうします』と言ってやり過ごして、自分の田畑を見に行った」と。

    微生物や不可知の味方の力を目の当たりにすれば、もうそこに接続されない「ことば」は単に「音」「風物詩」のようなものだったのかもしれないとも考えています。

    • Katsuyoshi より:

      大地の働きに神を見て祭祀を行った古代人の感性と知性は、想像されている以上に深い物があるかも知れませんね。