ウイグル国の第三代となった
牟羽可汗(ぼううかがん)は
安史の乱終盤の762年に
史朝義を平州で討ち取り、
英義建功可汗に封じられます。
しかしウイグルにマニ教を導入し
国教とした人物ともされており、
779年にソグド人に唆されて
唐を攻めようと画策した所、
宰相に殺されたとされています。
安史の乱はソグド人勢力が
大規模な反乱を起こした物で、
味方となっていたウイグルが
安史の乱に連なる戦争を
起こした事になりますね。
しかしこれで一神教勢力が
鎮圧されて平和になったと
言い切れないのが辛い所で、
後にウイグルの国教となり、
唐の脅威となっていきます。
安史の乱を鎮圧させられたのに
一神教勢力との戦いは終結せず、
問題が継続した事が分かりますが、
何故これが歴史で語られないのか
背景が気になる部分でもあります。