平城天皇は万葉集の編纂を
命じたとされていますが、
私はこの周辺に疑問があります。
万葉集の編纂には大きく分けて
四段階があったとする研究が
何人かに出されているのですが、
万葉集最後の歌人が大伴家持で、
ここにかなりの謎があります。
ここを詳細に書いて行くと、
かなりの分量となってしまい、
そこまで書く必要性があるか
良く分からない所です。
ただ問題なのがこの大伴氏は
歴史に大きく関わる軍事貴族で、
ただの文人ではありません。
大伴氏の流れをくむ伴善男が
応天門の変を起こしたとされ、
この変は家持から地続きの
一連の流れの上にあった
可能性がある事が問題です。
この変の後に藤原高子が
清和天皇の后となって、
陽成天皇を生んだ事から
道真公登用の流れに繋がり、
解釈如何で全く別の歴史が
浮上してくる事になります。
道真公の説を確実に足場から
構築していこうとすると、
前段階がかなり大変なのは、
分かって頂けると思います。
橘逸勢編はマイナーなので、
導入は退屈な話が続きますが、
後半で伏線が回収されるので、
暫くは我慢して読んで下さい。