阿保親王と大和三山

かの有名な『万葉集』の中には、
大和三山の歌が残されています。

香具山は 畝火ををしと 耳梨と 相争ひき

で始まる大和三山の歌では、
神代に香具山・畝傍山・耳成山が
恋の争いをした事を詠んだ上で、
人も愛する者を争う事を伝えます。

この歌には反歌が存在しており、

香具山と 耳梨山と あひし時
立ちて見に来し 印南国原(いなみくにはら)

中大兄皇子 巻一 (一四番歌)

香具山と耳梨山と争った時、
立ち上がって見に来た印南の国原よ。

と香具山と耳成山が争った時に、
印南国原(兵庫県)にまで
見に来た事を伝えまています。

『播磨国風土記』を見てみると、
出雲の阿菩大神(あぼのおおかみ)が
大和三山の争いを止めるために、
播磨国揖保郡上岡里に来ています。

これは兵庫県たつの市神岡町と
推定されているようですが、
三山が争いを止めたと聞いて、
乗っていた船をひっくり返し、
この地に鎮座したとされます。

ここで伏せた船の形から
神阜(カミオカ)の名がつき、
上岡里になったのであえば、
神話の地となりますね。

兵庫県たつの市の中には
阿菩大神を祀る神社を
見つける事は出来ませんが、
阿保親王は兵庫に祀られます。

阿保大神と阿保親王の間には、
何らかの関係があるのでしょうか。

平田篤胤が著した「古史系図」では、
阿菩大神を焼太刀守大穂日子命とし、
これだと大国主の三世孫なので、
出雲系と言う事になります。

何が正しいかは分かりませんが、
大神と言うのは仰々しいですね。

出雲だと火継の儀式で神と同化し、
世襲制で神となる継承形態が
平城天皇王権に存在したなら、
エジプトでホルスと一体化をし
太陽神となるような政治形態が、
この国にもあったのでしょうか。

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