槻神社御祭神の謎

奥三河の花祭は古戸(ふっと)が最古とされていますが、
昔は古戸は古都と書いたそうです。

古戸と同様に古い歴史を持つ月地区の花祭ですが、
御殿山に槻(つき)神社が鎮座しています。

神階延喜式内国内神名帳に従五位上槻村天神と記載されるので、
月の地名も槻であったのでしょう。

槻神社は月部落の産土神であり、
東栄町内東部々落一円の崇敬社として
隆盛を極めた時あったそうです。

この槻神社には千代姫神社があり、
千代姫物語が語り継がれています。

木曽義仲の家臣・手塚太郎光盛の孫にあたる千代姫様は
村人からは、大村千代・大村様と呼ばれていました。
眼の病にかかり盲目となられました千代姫様はある日、
眼病の治癒を願い御殿の山に杖を頼りに向かわれる途中、
不幸にも迷い込んでしまいそのままお亡くなりになりました。
その時に千代姫様が手にしていた竹杖が逆さに立っており、
そのまま根が生え「逆さ竹」が生えてきたと伝えられています。
現在でも「千代姫伝説」として語られ続け、
全国より眼病治癒を祈願する方が参拝に来られるようになりました。
(槻神社HPより)

2019年の末に月地区に行った時に知り合った人に
御殿山を案内してもらいましたが、
実際に登った経験がある自分ですら
目を瞑って登るのは不可能に近い
険しい山であったのを覚えています。
この伝承は真実を伝えているのでしょうか。

奥三河には目の見えない千代姫が祀られますが、
茨城県には耳の聞こえない千代姫の伝承が存在しています。

千代姫を祀る耳守神社の創建は1,000年以上前とされ、
民話がきっかけとなり建てられたそうです。

平国香(甥は平将門)の孫・飯塚兼忠の娘の千代姫は耳が聞こえず
兼忠夫婦は娘のため熊野の神様に断食をしながら願掛けをすると
千代姫の耳はきこえるようになりました。
千代姫が33歳を迎えると、病が悪化して不治の病となり、
自分が死んだら里の人々を耳の病から守るために
神社を建てるように両親に伝えて息を引き取りました。
千代姫の遺言どおり耳守神社が建てられ、
飯塚家が代々神事を引き継いだと伝えられます。

東三河と北関東の関係については
ブログや「平将門の深層」に書きましたが、
耳神社の創建が1000年以上前とすると、
壬申の乱により先住民族が追いやられ、
三河と武蔵野で共に尊重されてきた存在が
千代姫伝承となったのでしょうか。

見ざる言わざる聞かざるの日光に関わりのある
平将門をした倒した藤原秀郷のムカデ退治伝承は
平将門の深層に研究を載せていますが、
千代姫が平将門との関係を示唆されているのは
この周辺の歴史が関わっているのかも知れません。

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コメント

  1. シャイニー より:

    難のありかは人それぞれですが 敗者の象徴である方が 万民の病の難を癒す神となるのは ひとごころとしては当然の事なのかと思います 敗者は業の為せることですが 親族はどんな思いだったか 忍びないです
    せめて当時 「対個人ベーシックインカム」があればと思ってしまいます
    パチンコ屋さんはボランティアサークルを作り 「小さなしあわせ作りをしてますよ」アピールをすれば 市民権が得られるのでは?等とド近眼 耳鳴りの嵐の中考えていました 悲しき姫たちに合掌

    • Katsuyoshi より:

      いつも有り難うございます。
      千代姫に関してはまだ研究途中なのですが、
      とりあえず記事にしようと思います。