現代と承和の変

橘逸勢が三遠で活躍した
政治家であったとすれば、
彼の墓の意味も変わります。

この周辺が現在とは違って
重要な聖地とされていたなら、
このエリアの取り扱いこそが
重要な課題となってきます。

出せる情報はまだありますが、
実地運営の問題と関わる話は、
不用意に流出させる事に
責任が伴って来るのであれば、
ブログで簡単には書けません。

知る側にも責任が伴うなら
資格があるかが問題となり、
関わる事に対する姿勢が
問われる事となって来ます。

興味本位で現地に行って
不用意に情報を垂れ流し、
問題が起こったとしても
責任を取れるのでしょうか。

動乱の時代を責任を背負って
生き抜いた人物への参拝は、
相応の姿勢が要求されます。

志の低い頼み事をしに参拝に行く
場所でない事は分かるでしょう。

青々とした木々の中に隠れる
神社に祀られた逸勢ですが、
彼の時代が現代にも通じる
問題に直面していたなら、
この時代に生きる人達の
重要な選択にも関わります。

金融で世界を荒らしたソグドと
欧米のユダヤが重なりますが、
この関係はまだ出せる話を
ストックしてはあります。

逸勢の生きた時代は熱い戦争で
現代は冷たい戦争が主ですが、
大きな節目である事は同じです。

熱い戦争では命をかけるのが
当然の前提となりますが、
冷たい戦争は命の危険が
ある事すらも気付かずに、
罠に嵌まっていたりします。

目先の欲で利用された後に、
割に合わない痛手を被る
リスクも存在していますが、
大きな目で時代を見れば、
人となりこそが問われる
状況なのかも知れません。

志を持った人であるのなら、
橘逸勢に参拝に行く事により
得られる物はありそうです。

何かと見えにくい状況ですが、
節目に必要とされる行動を
取れるか否かの差は大きく、
後になって天地の開きが
出て来ないとも限りません。

命掛けで困難な時代を駆け抜けた
先人達の汚名を払拭する事に、
大きな価値は無いでしょうか。

偉大な時代的な動きを出した
多くの先人が悪く言われ続け、
彼らの生き様に触発される
大事な機会が奪われています。

気宇壮大な生き方をする
現代人は殆ど存在せず、
希望も利用される事が
多い状況にありましす。

偉大な先人達を鏡とすれば、
得られる物は大きいでしょう。

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